尾張津島秋まつり
尾張津島の秋を彩る「津島秋まつり」は10月第一日曜日と前日土曜日に行なわれます。旬蘭豪華な山車の競演は、見る人の心を躍らせます。車切とからくりの奉納は観る者を楽しませます。
七切(市神社)・今市場(大土社)・向島(居森社)の3地区は氏神社と津島神社で、神守3町は億感神社、穂歳神社でそれぞれ奉納されます。
津島の山車は全部で16輌。それぞれのからくり人形の技は、300年もの間、人から人へと伝承されてきました。そして、歴史と伝統を受け継ぐ町衆の心意気をも今に伝えているのです。
威勢よく鉦や太鼓を打ち鳴らしながら町を練り歩く「石採祭車」も見逃すことができません。「向島祭」(山車3台)、「今市場祭」(山車3台)、「七切祭」(山車7台)と「石採祭」(祭車3台)は、大正15年(1926)に津島神社が国幣小社に昇格したのを奉祝して、10月に合同で行なわれるようになりました。
令和元年の尾張津島秋まつりは10月5日(土)・6日(日)です。
今朝はグッと冷え込み、一気に秋の気候です。
11月24日(日)から、津島市本町一丁目にて「津島こい♡こいマルシェ」が行われます。
日本で初めてラブレターを書いた神様が見守る町 津島。
恋の井戸のそばで、ひと と ひと。 ひと と もの。
限定のスイーツなど、楽しい企画を沢山考えています。
地域の魅力をたっぷり楽しめますよ。
津島こい♡こいマルシェでは、現在出店者を募集しています。
♡出店日時
令和元年11月~令和2年4月の毎月第4日曜日
午前10時~午後4時
♡出店内容
フリーマーケットブース・マルシェ&フードブース
詳しくは、津島市観光交流センターまでお問合せください。
こんにちは!津島市観光交流センターです。
毎日暑い日が続きますね。
夏といえばお祭り、お祭りといえば縁日!
津島市観光交流センターでは8月18日(日)に縁日を行います。
毎年大好評の「スーパーボールすくい」には
今年もいろんなものが一緒に浮かびますよ!!
ペンギンさんや、変形スーパーボールなど他にもプカプカ浮いております!
是非楽しみにすくいに来てください(*´꒳`*)
今年はラグビーワールドカップが日本で開催されるので、
ラグビーアイテムも景品に加えてみました♪
ラグビーアイテム、探してみてくださいね!
当日センターの前では美味しい五平餅などの販売もあります。
18日は是非、津島市観光交流センターに遊びに来てください!!
津島ならではの体験をはじめ、期間中には国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の一企画である「モバイル・トリエンナーレin津島」が開催。体験とモバイル・トリエンナーレの鑑賞がセットとなったツアーも開催!!
8月30日(金曜)から9月1日(日曜)までの3日間、津島ならではの体験、お寺・まちなみ散策が楽しめる「夏の津島まちめぐり2019」を開催します。
今回上記期間中に、3年ごとに愛知県で開催されている国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の一企画である「モバイル・トリエンナーレ」が初めて津島市で開催されることに伴い、津島ならではの体験プログラムをはじめ、体験プログラム&モバイル・トリエンナーレツアー、あいちトリエンナーレ2019スペシャルコラボメニューの販売を行います。また、最終日である9月1日(日曜)は、津島でら寺巡りが開催され、参加寺院において、ワークショップ、体験、御朱印授与などが予定されております。
津島市観光交流センターでも、「抹茶体験プログラム」やkitchen.liaisonコラボの藤色ポップコーンを販売中です。
詳しくは下記ホームページをご覧ください
http://www.city.tsushima.lg.jp/shokai/kankouannai/machimeguri2019.html
☆Tsushima Tenno Matsuri drawn by Hiroshige
The ukiyo-e artist Utagawa Hiroshige (1797-1858) known for The Fifty Three Stations of the Tokaido (1833, 55 nishiki-e, or coloured woodblock prints) drew the yoi-matsuri (eve of the festival) of Tsushima Tenno Matsuri in Famous Places in the Sixty-odd Provinces (a series of 70 prints). Hiroshige’s work was also very well received because it showed a glimpse into the outside world which people were longing for in those days. As indicated by the fact that it is depicted in Famous Places in the Sixty-odd Provinces, Tsushima Tenno Matsuri was the most famous festival in Owari and one of the most magnificent festivals in Japan. The picture of asa-matsuri (morning festival) was drawn by Hiroshige II.
We have Tsushima Tenno Matsuri Festival at Tennogawa Kouen Park form 27th July to 28th July.
Come to see us at Tsushima-shi.
六百年の歴史と伝統を今に伝える尾張津島天王祭
☆広重の描いた津島天王祭
『東海道五十三次』(天保4年(1833)、錦絵55枚)で知られる浮世絵師の歌川広重(1797~1858)は『六十余州名所図会』(70枚揃)で津島天王祭の宵祭を描いています。広重の作品は、当時の人々があこがれた外の世界を垣間見る手段としても、大変好評に迎えられました。『六十余州名所図会』に収録されていることからも分かるように、津島天王祭は尾張で最も著名な祭礼であり、日本有数の華麗な祭礼でした。朝祭図は二代目広重が描きました。
令和元年の尾張津島天王祭は7月27日(土)・28日(日)です。
☆Tsushima Tenno Matsuri enjoyed by Oda Nobunaga
The historical record Taisai Ikadabaguruma Kiroku, contains the following passage: “Kazusa-dono (Nobunaga) enjoyed the festival from atop the bridge. His wives arranged a viewing platform on the bridge and watched it from there.” In 1558. Another 24 years later, Nobunaga died at the Incident of Honnoji Temple. At the Tsushima Tenno Matsuri of that year in 1582, all decorations were removed and danjiri boats cruised without any decoration. The oyama boats, or grand festival floats, were also called off to express condolences to Nobunaga and his son Nobutada who were also guardians of Tsushima.
☆Contribution of Owari Clan
Tsushima Tenno Matsuri was regarded as an Owari clan festival and enjoyed a lot of patronage. The clan donated rice, boats and bamboo which were called Mitorimono (three items of trade).
As for the contribution of rice, a total of 50 koku was donated to five former villages of Tsushima, in addition, 4 cho 8 tan (about 54 koku) to Ichie and about 14 cho 4 tan (about 152 koku) to Tsushima as Kurumaden (an area exempt from land tax). Tsushima received 20 large-scale boats from Nagoya, Atsuta, Kanie and others. 20 bamboo offerings called imidake (circumference about 24cm, with leaves) were donated from Kanayama and Nagara in Mino with ten offerings coming from each. 500 bamboo poles with lanterns were donated from Nishi-Kawabata, Kusahira and Fuchidaka and others as well as 80 oars from Kanayama.
We have Tsushima Tenno Matsuri Festival at Tennogawa Kouen Park form 27th July to 28th July.
Come to see us at Tsushima-shi.
六百年の歴史と伝統を今に伝える尾張津島天王祭
☆織田信長も観た津島天王祭
津島天王祭の古記録『大祭筏場車記録』の弘治4年(1558)の条には「かずさ殿、橋の上に御座候て、御見物なされ候、女房達橋坊主のうらに桟敷を打ち、それに御座候…」と記されています。それから24年後、信長は本能寺の変で死去します。その年の天正10年(1582)、津島天王祭は飾り物を廃し、素車の車楽船を出しました。大山車も取りやめ、津島の庇護者でもあった信長・信忠親子に弔意を表しました。
☆尾張藩の寄進
津島天王祭は尾張藩祭として位置づけられ、手厚い庇護を受けました。米、船、竹の寄進があり、「三通物」と言われました。
米の寄進は、津島五車に合計50石、さらに車田(年貢免除地)として、市江には約4町8反(約54石)、津島には約14町4反(約152石)がありました。津島には大船20艘が名古屋・熱田・蟹江などから調進されました。斎竹(笹つき8寸廻り)20本は美濃の兼山と長良から10本ずつ寄進されました。また、提灯竹500竿は西川端・草平・淵高などから、船竿80竿は兼山から寄進されました。
令和元年の尾張津島天王祭は7月27日(土)・28日(日)です。
☆Picture Scrolls on the River: Tsushima Tenno Matsuri
Tsushima Tenno Matsuri is a boat festival held along the Tenno River. It is one of the three great boat festivals, along with Kangensai of Itsukushima Shrine and Sumiyoshi Matsuri of Sumiyoshi Taisha and is designated as an Important Intangible Folk Cultural Property of Japan. Tsushima Tenno Matsuri has a long history, from about 500 years ago. This 75-day festival is held by Tsushima, Ichie and Tsushima Gozu Tennosha (Tsushima Shrine). Townsmen of Tsushima serve at the yoi-matsuri (eve of the festival) and the asa-matsuri (morning festival), townsmen of Ichie serve at danjiri-bune gyoji, an event with danjiri boats, during the asa-matsuri and Shinto priests conduct rituals.
☆ The stage for Tsushima Tenno Matsuri: Tenno River (Tsushima River)
The stage for Tenno Matsuri is currently the round pond called Maruike in Tennogawa Park. Tenno River (Tsushima River) was a river formed by the confluence of the Miyake River and Hagiwara River (Nikko River) in the Edo Period and further joined the Saya River and ran into Ise Bay. Tenno Bridge was suspended over the Tenno River. The great warlord Oda Nobunaga enjoyed this festival from Tenno Bridge in the Sengoku Period. The place where Tsushima Tennosha Shrine was located was called Mukojima and a shrine estate (shuinchi) of Tsushima Tennosha Shrine in the Edo Period.
We have Tsushima Tenno Matsuri Festival at Tennogawa Kouen Park form 27th July to 28th July.
Come to see us at Tsushima-shi.
六百年の歴史と伝統を今に伝える尾張津島天王祭
☆水上絵巻津島天王祭
津島天王祭は天王川を舞台にした船祭です。厳島神社の「管弦祭」と住吉大社の「住吉祭」とともに日本三大船祭の一つです。国指定重要無形民族文化財です。津島天王祭の歴史は古く500年ほど前から行なわれていました。75日にわたって行われる津島天王祭の主宰は津島・市江そして牛頭天王社です。津島の町衆は宵祭と朝祭、市江は朝祭の車楽船行事に奉仕し、神職は神事を行ないます。
☆津島天王祭の舞台 天王川(津島川)
天王祭の舞台は、現在は天王川公園の丸池となっていますが、江戸時代の天王川(津島川)は三宅川、萩原川(日光川)が合流した川で、さらに佐屋川に合流し、伊勢湾につながっていました。天王川には天王橋が架かっていました。戦国時代、織田信長はこの天王橋から津島天王祭を観ました。津島天王社が鎮座していた地は「向島」と称され、江戸時代には津島天王社の神領(御朱印地)でした。
令和元年の尾張津島天王祭は7月27日(土)・28日(日)です。